データドリブンになりたくて

最近IT・テック業界やベンチャー界隈では「データドリブン」というワードが流行っているみたいです。意味としては「数字・データに基づく」というふうに理解すればよいと思います。
「わが社はデータドリブンな経営方針で、着実に信頼・実績を積んできたとともに、今後はその方針をより加速し、常に最適化されたパフォーマンスで目標達成のためのアジェンダを遂行してまいります」
こんな感じの例文になりそうです。いかにもそれっぽいと同時に、見事なまでに中身がない(笑)

ビジネスの文脈でカタカナ英語が使われる風潮はかなり昔からあります。ただ、そのカタカナ英語というのは得てしてわかりにくく、別の日本語に置き換えたほうが良いではないかと散々世間から突っ込まれながらも、しぶとくその文化を守ってきた・・・いや、それどころか日々進化を遂げています。
なぜカタカナ英語を使うという心理が働くのでしょうか。

  1. 言葉の意味を意図的にぼかし、責任を回避する。一種の保身行為
  2. 国際的なアンテナを張るという知的好奇心から、英語による情報の断片がこぼれ落ちてしまう。いわば、上昇志向の副産物
  3. 一つのパラグラフを相手に読ませる・聞かせるときは、リズム・抑揚が大事。カタカナ語・和語・漢語をバランスよく配置した文章は可読性を高めるだけでなく音声的な豊かさをもたらす。これは、特にプレゼンやスピーチの場で顕著に表れ、聴き手の理解を助ける。逆に、カタカナを使わない、特に漢語を多用した文章は硬質な印象を相手に付与してしまい、時に理解を妨害する
  4. 日本語と英語の翻訳は一対一の対応関係になく、例えば「ネゴシエートする」という言葉をとってみても「交渉する」の意味を超えた、相手に対する動的な働きかけがあると考えることもできる。その日本語では表現しきれない、「翻訳不可能な深み」を加えたい意図がある
    ※しかし一歩間違えると1.と同じ印象を持たれる

1は軽蔑的ですが、2~4はかなり当事者に寄り添った考察をしています。
雑にまとめると、カタカナ語を使われた方が理解の効率が上がると感じている人は一定割合存在するので、相手を見極めて言葉を使い分けましょう、となります。わたしはあまりカタカナ語を多用するほうではない(と自分では思っている)ですが、みなさんはどうでしょうか。

何だかんだと書きましたが、正直、データドリブンであることは今の時代(というか昔から)メチャクチャ重要です。自社の強みや提案の有効性を数値的に証明できれば良いということです。
このことは、昨今ネットで流行っている「それってデータあるんすか?」という返し文句にまさしく象徴されているんじゃないでしょうか。

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